2022年2月1日は中国の旧正月、春節の日✨。
今回は春節と餃子にまつわるディープで重要な話をしたいと思います。中国、特に中国東北出身の彼女、彼氏、友人、同僚、上司、部下などなどをもつ方は、必ず最後までお読みください。そうでないと……、私の彼氏のように!
春節の日、私は当然のごとく、餃子を食べるべく、街に出かけた。中国で食べる、あの本物の手作りの水餃子を食べられるディープチャイナの店なら、いくつも心当たりがあるのだ。そして、勤め先の海外の遠い国から、半年ぶりに帰ってきた日本人彼氏も一緒。
ところが行く先々のお店が、「本日お休み」とのこと。よく考えたら当たり前で、中国出身シェフによるディープチャイナである以上、春節ぐらいは休みたいのだもの、一年でいちばん大切な祝日なんだから!
やっと見つけた営業中の二軒の中華屋さん、どちらも日本人向けの町中華だけど、片方は中国出身シェフを匂わせるサイドメニューがある。しかし下町出身の彼は、頑としてもう一軒の方、典型的な日本の下町中華に行くと言って、譲らない。
長く海外にいたから、日本の味が恋しいのだろう。そこで私は妥協し、老夫婦がカウンターの後ろでラーメンやチャーハンを作る日本の町中華へ。
おじいちゃんの包み立ての、キャベツたっぷりの焼き餃子も、レバニラ炒めも、日本らしい黄色い麺のタンメンも、チャーハンも、普通に美味しかった。しかもふたりでたらふく食べて、2000円ちょいと。
帰り道に、彼は嬉々として日本の下町焼き餃子を褒め称えた。確かに美味しかったし、普段なら私も文句はない。しかし、私はなんとなく悲しくて、新年が来た気がしなかった。
そんなときに、中国にいる母が、つるっとした美味しそうな、大晦日に家族で作って食べたという水餃子の写真を送ってきた。
そう、それは一年でいちばん賑やかな祝日の定番料理。集まった家族の中の、力持ちな若い男が小麦粉を捏ね、料理上手な人が餡を調合し、別の人が野菜を細かく切り、手先が器用な人が2人ぐらい、麺棒で皮を作る。そしてみんながリビングのいちばん大きなテーブルに集まり、仲良くおしゃべりしながら餃子を包む。
子どもたちは、年齢に応じて、捏ねた小麦粉を少しもらって粘土がわりにして動物を作って遊んだり、小麦粉を敷いた様々な平らな器(例、穴だらけの蒸し器の底)に、くっつかないように餃子を並べて数えたり、大人と一緒に下手くそな餃子を包んでみたり、教えてもらいながらさらに下手くそな皮を作ったりする。なかでいちばん責任重大な、大きな鍋で餃子を茹でるという仕事を、初めて教えてもらえたときの、あの誇らしい気持ちったら!
気がつくと涙が溢れていた。普段なら喜んで食べる日本式の焼き餃子が、ここ十数年故郷を離れていた寂しさの塊となって、胃の中でごろごろした。私は、家族の手による、エビとニラと玉子がたっぷりで、小麦粉の香りがプンプンする、白く柔らかい水餃子が食べたかったのだ!
私がしばらく泣いていたので、彼氏はすっかりおとなしくなった。彼にはわからなかったのだ。私自身でさえ、新年に餃子を食べることが、自分にとってこんなにも重要だと、このときに初めて気づいたのだから……。
そこで彼氏にあまり怒る気にもなれず、別れてそれぞれの家に帰った。
帰るなり私は自転車に乗って、近所のスーパーを片っ端から回り、水餃子を探した。しかし懸念した通り、皮が混じりっ気なしの小麦粉で作られた、ニンニクなど邪道な具とは無縁な、手包みの中国風の冷凍水餃子はどこでも売り切れ。
仕方なく三軒目のスーパーで、日本の大手メーカーの冷凍水餃子を購入。そして彼氏への八つ当たりに、「春節に水餃子を食べさせてくれなかった恨み、一生根にもつ!」というメッセージを送って、冷凍水餃子を茹でて食べた。
これでやっと、一年が始まる。
■ディープチャイナとは無縁なおまけ
これまでの話を読んでくださった方から、「日本の焼き餃子が侮辱された」、もしくは「水餃子を食べ慣れた人間が、焼き餃子も美味しいだなんて、嘘つきもいいところだ」なんていうクレームが届いては困るので、日本の焼き餃子も私にとって、大切な良い思い出の味で、決して嫌いではない理由を話そう。
あれは大学2年の冬、2月の試験週間。前の年に、母が故郷に近い町の大学で仕事を見つけたおかげで、私以外の家族全員が帰国した。私は大学の寮に入り、生まれて初めてひとり暮らしを始めた。
あくる年の春節はちょうど2月の試験週間のど真ん中。1日の試験を受け終わり、寒くて暗い中、翌日の試験で頭いっぱいになりながら寮に帰った。すると玄関ホールで、同じ心理学専攻のクラスメートの日本人がいて、私を見ると小さなビニール袋をさしだした。
美味しそうな匂いがそこら中に溢れている。ビニール袋の中は小さな紙の箱、触ると熱々だ。私がポカンとしていると、彼女は照れ臭そうに言った、
「ほら、孫ちゃんが昼間、『今日は中国の大晦日なのに、餃子どころか、試験だ』と言ったから……。これは日本の餃子で、中国のとは違うと思うけど、ほんの気持ち…」
私はそのとき初めて、自分はひとりぼっちじゃないと気づき、胸が熱くなった。彼女にどうお礼を言ったかは、もう覚えていない。
あれは大手チェーン店街中華の典型的な日本の焼き餃子だけど、今までの人生でいちばんの、温かくて美味しい思い出のひとつになった。