近年、関心が高まっているヴィーガンやプラントベース。健康や環境、動物倫理といった観点から、肉を控え菜食中心の食事に興味を持つ人が増えています。
欧米発のヴィーガンカフェや代替肉なども増えていますが、しかし菜食と言ったら中華文化圏の右に出るものはないでしょう。仏教の不殺生戒が土壌としてあり、植物性食品のみで食事を作る精進料理の文化と技術が長年かけて育っているのです。
台湾で「素食」といえば、菜食すなわち精進料理のこと。肉や魚だけでなく、乳製品やタマゴなど一切の動物性食品不使用、五葷(ごくん)と言われるにおいの強い野菜群(ニンニク、ニラ、ネギ、玉ネギ、ラッキョウ)も使いません。豚肉も、タマゴも、ニンニクも禁じられると、中華料理の肝となる食材がほとんど使えないということになりますが、一体それでおいしい料理がつくれるのでしょうか。
国立にある日本では珍しい台湾素食の店「中一素食店」(東京都国立市中)にうかがいました。
中央線で、都心から西へ。国立駅から15分ほど歩いたところに、そのお店はあります。看板は、中国や台湾料理には珍しく緑色。一瞬フランス菓子屋かと思って通り過ぎてしまいました。菜食をイメージした色なのでしょうか。
店内に入ると、壁際にずらっと並んだ物販の棚に目が引かれます。常温の調味料だけでなく、冷凍庫にも食材がぎっしり。見たこともないほどたくさんのラインナップに気圧され、早くも「何を買って帰ろうか」とはやる心をぐっと抑えてテーブルへ。
席に着くと、お店の方がお茶を出してくださいました。このお茶はただの「無料のお茶」ではありません。漢方茶の一種のケツメイシ茶で、消化を助け、胃腸に優しいお茶なのだそうです。素食というのは、単に菜食というだけではなく、体をいたわり整えるものなのだといいますが、注文する前の一杯からすでにその考えが伝わってきました。
以下の言葉は、中一素食店のHPからの引用。
中一素食店は、「医食同源」の考え方に基づき、健康な精神と身体の原点となる「食」を提供しております。
「素食」とは、台湾の菜食料理のことです。
これは日本でいう精進料理にあたりますが、日本の精進料理が質素であるのに対し、台湾素食は豪華でボリュームがあり、味や食感、盛り付けなどは普通の中華料理と変わらないのが特徴です。
引用:株式会社中一素食店|東京都国立市|台湾風菜食料理
さて、注文を。メニューは定食形式です。今回は3人で伺ったのですが、いろいろ食べたかったため、3つの定食を注文してシェアしました。以前は品数ももっと多く単品注文ができたのですが、コロナ禍でシェフの方が帰国されたために、今は定食形式でメニュー数を絞って提供しているのだそうです。
悩んだ末に選んだのは、漢方麺、台湾ルーロー飯と水餃子セット、それに精進ヒレかつ定食。ほどなく、順番に運ばれてきました。
まずは、いちばん気になっていた漢方麺。名前の通り、いくつもの漢方食材が使われています。さらっとした茶色のスープに浮かぶのは、なつめやクコ、それに青菜。肉代わりにのっているのは、分厚い湯葉とチャーシュー風の大豆ミートです。スープには他にも、当帰、桂枝、川弓、甘草などが使われていて、血行促進や代謝促進が期待できるとメニューには書かれています。いかにも体に良さそうです。
ところがスープを口にすると、いわゆる薄味の「体に良さそうな味」ではなく、しっかりスパイシーの風味で、食べ応えも抜群。少し縮れた中華麺にスープが絡み、するすると食べ進みます。
気になっていたチャーシュー風の具材は、弾力のある食感で、これまたスープを吸っていいお味。麺のもっちり、青菜のしゃっきり、チャーシューや湯葉の噛みごたえと、食感もいろいろ混じって大満足。きっとよいものがたくさん溶け出しているだろうスープは、最後の一滴までいただきました。
お次は、精進ヒレかつ。「本当にヒレかつっぽいのだろうか」と試すような気持ちで頼んだ一品でした。ご飯は白米と玄米が選べたので玄米をチョイス。それにスープと杏仁豆腐がついてきます。
とんかつの材料は、これも大豆ミート。先ほどのスープの具材は弾力もありつつもやわらかくほどける食感でしたが、こちらは噛みごたえしっかり。ロース肉のボリューム感と比べてもひけをとりません。味も大豆臭さを感じることもなく、「肉じゃない?肉みたい!」と楽しく騙されながらいただきました。
ちなみにスープは、味噌汁だと思ってまったく期待していなかったのですが、これが予想外のヒット。ココナッツミルクベースで、生薬の香りが包みこまれ、辛くないグリーンカレーのようなまろやかな味わい。これだけおかわりしたいくらいでした。
そうして食べている間も次々とお客さんが入って来たのですが、意外なことにその半分以上が外国人のお客さん。それもアジアではなくヨーロッパ系のようなのです。
後でお店の方に聞いたところによると、「東京はベジタリアンやヴィーガンの人が安心して食事できる場所が少ないから、近隣に住む外国人や留学生の方がよく来る」のだそう。東京にありながら、台湾人よりも、日本人よりも、ヨーロッパのお客さんが多い台湾料理店。なかなかにディープな一面を垣間見た気がします。
さて最後は、魯肉飯と水餃子。ハーフアンドハーフで気になる料理がふたついただけるのは、ひとりで来る時にもうれしいですね。
運ばれてきた魯肉飯からは、八角やシナモンの香りが立ち上り、台湾屋台に来たかのよう。
細切りの豚肉風なものをつまむと、層状の構造になっていて、薄切り肉のようです。こちらは大豆ミートではなく小麦たんぱくで作られているとのことですが、もちろん小麦の味などしません。肉のようなしっかりした噛みごたえで、たっぷり含んだタレは噛むごとに滲み出し、ご飯がもっとほしくなります。
餃子は日本の焼き餃子ではなく、もちろん水餃子。餃子といえばニンニクやニラなどの香味野菜が命ですが、台湾素食では五葷にあたるため使えません。
五葷抜きでおいしい餃子が作れるものか疑っていたのですが、なんのその。かぶりつくと中は色とりどりの野菜がたっぷりで、キャベツやにんじんの甘味とうまみが感じられ、食感も楽しいのです。ガツンとしてやみつきになるおいしさではなく、体と心がほっとして染み入るようなおいしさです。
この時点で腹八分目。ここでやめておくのが体には良いのでしょうが、せっかくなのでもう一品食べたいということで、酢豚を追加注文。メニューには定食で掲載されていますが、頼むと単品で提供してくださいました。
見てください、この美しい照り。豚肉はもちろん大豆ミート。今度は塊肉風なので先の三つともまた食感がちがい、肉の繊維っぽさもある上に一度揚げてあるので噛みごたえもあり、肉と言われてもわからないいつも通りの酢豚です。パイナップルは流派の分かれるところかと思いますが、こちらのは酸味で全体をすっとまとめ上げて、いい仕事をしています。
お腹いっぱいになった一同は、物販の棚へ。
植物性の調味料やお肉はもちろん、餃子にハムにとんかつ、サバの切身やはんぺんなどの魚介加工品、果てはあわびのような食材まで、すべて精進バージョンで売っています。大豆ミートだけでも、牛肉風・豚肉風・鶏肉風など加工方法を変えたラインナップが用意されており、大豆原料のものだけでなく、小麦たんぱく、こんにゃく由来など様々。
ありとあらゆる料理が精進版でできてしまいそうなくらい豊富な食材がそろっていて、その一部はお店のホームページからも購入できます。見たことのないくらいのバリエーションに、台湾素食の圧倒的な世界を見せつけられ、唖然としてしまいました。
店長の建福さんがこのお店をオープンしたのは、36年前のこと。始まりは、台湾素食で生活してきた自分とまわりの友人たちのためだったと言います。
「仕事のために日本にやってきたら、食べられる店がない。同じ仏教の国なのに、素食のように精進料理が浸透しているわけではなく、本当に食べるものに困った。そこで自分たちが食べられる場所をということで店を始めた」。
それが今や、日本人にも外国人にも頼られる店になっているのです。
医食同源の考え方に基づき、健康な精神と身体の原点となる「食」を提供するというのは創業以来変わらぬ思い。加えて、近年切実な課題となっている地球環境の観点からも、素食はよいものだよと教えてくださいました。
ところで、翌朝の話。昨晩あんなにお腹いっぱい食べたのに、体の軽いことといったら。肉を使っていないことに加えて、野菜や漢方食材のご利益もあるのでしょうか。素食とは体の調子を整えるもの、ということがすとんと納得できました。
ヒーヒー言いながら食べる火鍋や羊肉モリモリのディープ中華もよいものですが、ちょっと胃が疲れたなというときには、体を整える台湾素食はいかがでしょうか。
店舗情報
中一素食店
東京都国立市中1-19-8 中一ビル
042-577-3446