8月中旬に行われた「ガチ中華」学生ミーティングの登壇者のひとり、筑波大学大学院の王振一さんから、先日メールが届きました。
それは、以前彼から申し出を受けたヒアリングを通じて、ぼくが話したコメントに関する質問でした。以下のような内容です。
質問1
中村さんは「ガチ中華」、特に四川料理のような刺激的な味つけが日本で支持された背景に、長いデフレ下で経済成長が止まってしまった日本の社会が抱えるストレスとつながっているというようなことをお話になったのですが、それだけでなく、日本の人々が新しい娯楽として珍しい味覚を求めるようになったこともあると理解してよろしいですか?
質問2
中村さんは今日の「ガチ中華」という呼び方が定着する前に、この料理の呼び方について迷っていたとお話になりましたが、何を迷ったのでしょうか。また最終的に「ガチ中華」という呼び方を選んだ理由をお聞きしたいです。
また中村さんから見て「ガチ中華」の「ガチ」とは何を意味していますか? 料理の味の本物らしさですか? それとも、従来の日本の中華料理と区別する言葉として、多くの人にわかりやすいからですか?
質問3
「東京ディープチャイナ」のウエブ記事はさまざまな異なる背景の人たちに書いていただいているとお話になりましたが、他の料理メディアのように、専門家の声をメインに発信するというより、愛好家やファンの人たちが実際に店を訪れた食レポがメインのコンテンツになっているのが特徴だと思います。中村さんは編集者として、なぜそのような記事を発信しようと考えたのですか?
王さんの質問は、ぼくにとってもあらためて「ガチ中華」について考えるいいきっかけを与えてくれました。以下、思いついたことを書き出してみたいと思います。
最初の質問は四川料理のような刺激的な味つけとそれを支持した日本の消費者に関するものでした。
これにお答えする前に、中国で四川料理が全国に広まり始めたのはいつ頃かという話から始めたいと思います。それは、ぼくの記憶では、1990年代後半から2000年代にかけてでした。
背景には、この時期に始まった中国の飛躍的な経済成長にともなうロジスティックの進歩や、四川省から経済先進地である沿海地方の大都市圏へ向かう労働者(農民工)の急増で、四川料理を提供する食堂のような店が各地に増えました。
経済成長は人々の食の嗜好を保守的なものから積極的な姿勢に変えるものです。こうして刺激の強い四川料理は全国でブームになりました。
「ガチ中華」は辛いというイメージが日本では定着している気がしますが、もともと中国では全土で辛い料理が食べられていたわけではなかったのです。
その影響は、とりわけ高学歴社会に向かって邁進する中国の厳しい受験競争を経験してきた若い世代のストレスを高め、その発散のひとつとして麻辣グルメが求められた背景があると思います。それを最初に口にし始めたのは、1980年代生まれの「80後」世代からでした。現在、30代半ばから40代前半にかけての世代です。
一方、日本でも1980年代後半のバブル期にタイ料理や韓国料理などの激辛料理がブームになったことがありますが、逆に、1990年代のバブル崩壊以降の長いデフレ下における社会の閉塞感から生まれるストレス発散として麻辣ブームが生まれた面があるように思います。
中国と同様に、食に刺激を求めるブームを担ったのは若い世代であり、そこにはイベント性やエンタメ性も含まれると思います。つまり、日中で麻辣嗜好が生まれた背景は内実は少し違うものの、共通点もあるように思います。
2つ目の質問は、今日定着した「ガチ中華」という呼び方に関するものです。
コロナ禍に突入した2020年春、都内で見つけた、いまでいう「ガチ中華」は、ぼく自身、中国などで実際に食べたことがある現地料理の数々でしたから、そのような料理がこれほど多く東京で提供されていることについて(それまで、少なくとも5~10年前には、ほぼ存在していませんでしたから)、驚いたものです。
その頃は、この現象の全体像をまだつかんでいなかった段階で、これらの料理をどう名づけるべきか、ふさわしい呼び名が見つかっていませんでした。店を訪ねるごとに「いつの間に東京でこんなディープな世界が広がっていたのだろう」と呆れるような思いで現状を追うほかなかったのです。
こうしたことから、最初はこれらの料理について仮に「チャイニーズ中華」、「ディープ中華」と呼んでいました(2021年上半期くらいまで)。「チャイニーズ中華」というのは、日本人の手になる慣れ親しんだ中華料理ではなく、中国系の人たちがつくる新しい中華料理という意味で、つくり手の違いを意識した呼び方でしたが、しっくりきていませんでした。
2021年下半期に入った頃から、一部のメディアで都内に急増しているこの種の料理のことを「ガチ中華」と呼んでいることを知りました。
「ガチ」というのは、本物の、本場の、という意味の俗語で、他の文化ジャンルでも広く、ポジティブな文脈で使われていました。それを見て、これはわかりやすいと思ったので、ぼくはすぐに採用することにしたのです。
この名づけに関して、特にこだわりはありませんでした。なぜなら、「ガチ中華」はいわば21世紀の中国の高度経済成長が生んだ現代料理でしたから、大半の日本人にとって未知の領域です。ですから、厳密な定義に即した名づけよりも、一般の人にわかりやすく伝えやすいことが大事だと考えたからです。
3つ目の質問は、「東京ディープチャイナ」のウエブ記事を書いてくださっている方たちの属性に関するものです。
先に述べたとおり、「ガチ中華」はこれまで日本にほぼ存在していなかった料理ジャンルでしたから、実際のところ、専門家と呼べるような人は多いとは言えません。
ぼく自身は、中国各地の現地事情はそこそこ精通していますし、2000年代以降の中国の経済成長にともなうさまざま経済・社会・文化方面の変化については理解しています。そのひとつが食のジャンルで、特に中国の外食チェーンの動向や大都市圏で食べられるようになった地方料理の事情についても、取材を通じて大まかに把握しています。
ただ、ぼくは食の専門家ではないので、詳しいレシピや食材、調味料など、一般にグルメな人たちが関心をもつテーマについては、それほど深い知識はありません。ぼく自身は、食に映し出される社会の姿や変化について取材をしたり、考察したりするのがむしろ主要関心事です。
東京ディープチャイナ研究会は、そんなぼくが運営しているコミュニティであることもそうですが、大半の日本人にとって未知の料理ジャンルである「ガチ中華」を知っているのは、駐在や出張、留学を通じて中国と縁のある人たちにおおむね限られます。彼らは現地で実際に「ガチ中華」を味わってきました。ぼくらのSNSでも、コアな情報発信者の多くはそのような方たちです。
彼らは世間的な意味では専門家とはいえないのかもしれませんが、一般の日本人が知らない食の世界に通じており、彼らの提供する話題はコミュニティの方たちの共感を呼んでいます。最近では、中国留学経験があるうえ、調理師免許を持ち、中国の食文化やその歴史に詳しいプロ級の投稿者も現れており、各料理の起源やレシピなど、かなり専門的な議論も行われています。
こうした現況から、広く「ガチ中華」の魅力を伝えるためには、コアなコミュニティのみなさんや愛好家、マニアの方々の力をお借りしつつ、先入観なく好奇心を持ってアプローチしてくれる若い人たちの存在が大切だと考えました。
繰り返しますが、日本の大半の大人たちが知らない新しい料理ジャンルである「ガチ中華」は、経験や知識がなくても、若い人たちの感じるままを表現してもらうことに意味があると考えているのです。
そして、伝えるべきはまず、「ガチ中華」にはどのような料理があるのか、どんな味がするのか。その楽しい食レポがメインの記事になるのは自然なことだと考えています。
(東京ディープチャイナ研究会・中村正人)