はじめに―<茶屋>との出会
東京23区の北西。新宿と中野の区境、神田川と妙正寺川の合流する地点にほど近いあたりに、西武新宿線の中井という駅があります。
行政区分としては新宿区で、山手通り沿いの高台の方は芸能人なども住む高級住宅地ですが、駅の周辺は、妙正寺川の河成段丘の低地にあるせいか、少し下町っぽい風情の、生活感のある街並みとなっています。
実際、この町は、その昔は妙正寺川の流れを利用した染め物職人の町でした。今でも毎年2月になると「染の小道」という、染め物屋を中心としたイベントが行われていて、染め物のワークショップや、昔、川で反物を洗って、染め物の糊を流した様子の再現などが行われています。(もっとも、実際の川水には漬けられないので、再現は反物を川に干すインスタレーションっぽい再現になっていますが…)
今回紹介する、<茶屋>という店は、まさしくこの妙正寺妙正川沿いの一軒のお店です。
私がこの店を知ったのは、新型コロナウイルスが広がり始めたころ、ちょうど飲み屋が感染対策で次々と早仕舞いをさせられ始めた頃でした。
馴染みの飲み屋が次々と早仕舞をしたり休業したりする中、呑み仲間の友人から面白い話を聞いたのでした。
「お前、中華料理好きだろ。こないだ二軒目で川沿いの台湾料理に行ったんだよ。飲んだ〆で、なにか麺でも食おうかと思ってな。そしたら、そこの麺が不思議な味でなあ…なんか、素麵みたいな麵で、コシはまったくないんだ。で、汁はたぶんカツオかな。すごく薄味でなあ。こんな味の麺料理があるのかと、なんとも不思議だったよ。麺の名前、なんといったか…なんとかセン……ミーセン、いや、メンセンだったかなあ…」
私は友人の話を聞いた瞬間、戦慄が走りました。
「台湾料理。素麺のような麵。コシがない、カツオだし…メンセン…これは台湾の「麺線」だ!しかも薄味ということは、かなり台湾の本場の味に近いやつだ!」と気づいたからです。
台湾料理。近年では滷肉飯(ルーロー飯)や炸鶏排(ザージーパイ)などの味のしっかりした料理が有名になっていますが、本来は福建料理に由来する薄味で淡泊な料理であり、特に家庭料理はその傾向が強いとされています。
日本ではあまり出す店の少ない麵線があって、しかも薄味…これは本場の台湾料理が食える可能性が高いという情報を得た瞬間でした。
1. 小上がりのあるガチ中華
さて<茶屋>。おおよそ、ガチ中華っぽくない名前です。
お店のつくりも、どこからどう見てもガチ中華の要素はなく、「茶屋」と染めた赤提灯に暖簾。ドアを開けるとカウンターに小上がりのお座敷と、どこから見ても、小料理屋か和風居酒屋です。
東京ディープチャイナの記事の中で紹介されているガチ中華の店の中でも、最も中華っぽくない店の一つではないかと。しかし、メニューに目をやると「台湾腸詰」「ル―ロー飯」「台湾から揚げ」といった、台湾料理の定番や紹興酒が並んでおり、まごうことなきガチ中華の店であることがわかります。
店の経営者は米山理美さん。台湾のちょうど中央部に位置する、南投県埔里鎮のご出身です。この文章では気安く女将さんと書かせていただきましょう。
台湾の人々がちょうど日本に来はじめた1980年代後半に来日し、いくつか仕事をされたのち、この店を2006年にOPEN。この11月で18年目になるとのこと。
料理に関しては、台湾の家庭料理が中心となっていますが、女将さんが来日後、和歌山とも縁があったことから、和歌山の食材を使った料理なども出されています。
たとえば、レモンサワーには通常のレモンサワーと、和歌山スペシャルと称する女将さんの手作りの和歌山産五5種類の柑橘ジャム(はっさく・ミカン・レモン・デコポン)が入れられている2つのサワーがあります。ガチ中華と日本の郷土料理がうまーくミックスされたメニューといえるでしょう。
筆者はこの店を見つけて以来、しょっちゅう通っているので、どの時の料理から紹介をしていいか少し迷っているのですが、先日、東京ディープチャイナの編集長と私の友人で南京出身の陽君と取材に行った際の料理を中心に紹介したいと思います。
この時は、腕によりをかけて特別メニューを作ってもらったので、普段あまり出さない料理もありますが悪しからず。
ではでは、宴会の始まりです。
2. 台湾家庭料理で宴会!
【1品目】レモンサワー(和歌山スペシャル)とお通し2種
まずは、女将さんご自慢のジャムを溶かしたレモンサワー(和歌山スペシャル)で乾杯。女将さん手作りのジャムがないと出ないサワーですが、もしある時はぜひ頼むのが吉。よく混ぜることで濃厚な柑橘のフレーバーが楽しめます。
今日のお通しは2種。一つは、中華料理屋のお通し定番、ゆで落花生。ゆで落花生は、昔は、日本では千葉や静岡の富士地域くらいでしか見かけず、大抵はローストしたものが多かっですが、ガチ中華が増えたせいで、結構食べる機会が増えました。中国でも茹でにするのとローストにする地域の差はあるのかしらん。
もう一つは、玉蜀黍(トウモロコシ)の粉を湯がいたのち、刻んだ野菜と酢和えのマリネっぽくして、酸味をつけたもの。これは女将さんの創作料理かもしれません。
このマリネ、どことなく洋風な味付けで、食欲をそそります。茹で落花生で少し口の水分がとられたら、マリネで口を爽やかにして、また茹で落花生を食べる。時々合間に和歌山スペシャルを飲むと大変良いサイクルが出来上がります。
【2品目】シジミの醤油漬け<鹹蜆仔(キャムラー)>と紹興酒
次は台湾料理名物、シジミの醤油漬け。シジミをニンニクや唐辛子等を入れた醤油に漬けこんで出すシンプルな料理ですが、最近は大きいよい蜆が減ったせいか、これを出す店もなんとなく減ってきました。茶屋でも毎回あるわけではなく、女将さんの話では、たまたま台湾の大きいシジミが手に入ったからとのこと。
この料理、ちまちまっと殻をむいて、ちゅいっと、中身を吸う楽しさは、私は酔蟹や酔蝦に並ぶおいしさと思っています。
そしてまた今回、実は筆者はこの取材の前日、お店に伺って、取材のお願いと下準備をしていたのですが、その時に食べさせていただいたシジミの味と、今日のシジミの味が少し違うことに気づきました。
聞けば、浸かり具合で日が経つにつれて味が変わってくるとの由。昨日のはまだ風味も軽く、シジミの食感もだいぶ残っていましたが、今日はより濃厚で、食感もとてもやわらかくなってより美味しいお酒のつまみとなっています。
ちょうどシジミと一緒に、紹興酒も頼みましたので、その紹介もしましょう。
紹興酒は中国で作られる、もち米を主な原料とした醸造酒です。その名前の通り、中国浙江省の紹興で作られたのが有名ですが、台湾でも作られていて、実は女将さんの出身地、南投県埔里は台湾における紹興酒の一大産地として知られています。
もともと台湾では、台北の一部で細々と黄酒(紹興以外で作られるもち米原料の醸造酒。本来は紹興で作られるもののみを紹興酒と呼び、それ以外を黄酒と呼ぶ。)が造られていたのですが、戦前、日本が統治し、黄酒の杜氏たちが大陸に引き上げたことにより、一度、台湾の黄酒造りは一度、途絶えてしまいました。
1949年、中国共産党に追われて台湾に来た蒋介石が、自分の故郷、浙江省の紹興酒の味を、何とか台湾で再現できないかと考え、1952年、埔里で紹興酒造りに成功したのが、現代の台湾の紹興酒の歴史とされています。(注1)
今回いただいたのはこの埔里産の陳年紹興酒。本来は、紹興産のものしか名乗れない「紹興」酒ですが、蒋介石が故郷、紹興の味を再現したということで「紹興酒」を名乗っています。蒋介石、よほど故郷の酒が飲みたかったのかなあ…
「陳年」は年代物の意味です。今回は8年ものです。一般的な紹興酒の場合、日本ではお燗してザラメ砂糖を入れて飲む人もありますが、せっかくの年代物ですので、今回は何も入れずにのんでみましょう。
一般的な紹興酒より、かなり味の濃い、少しコクや苦みも感じる深い味わいで、シジミのうまさをよりひきたててくれます。
【3品目】台湾式卵焼き<菜脯蛋(ツァイプータン)>
これも、台湾の定番料理。薄めの卵焼きに、菜脯(ツァイプー)と呼ばれる、大根の細切りを混ぜて焼いたもの。
実は私は「菜脯」を日本の切り干し大根と同じものだと思っていたのですが、女将さんと中村編集長の話では、日本の切り干し大根が、大根を切って干しただけなのに対して、菜脯は塩漬けした大根を干して、細かく刻んだもので、沢庵に近いとのことです。
確かにほのかな塩味としゃくしゃくした食感が、薄焼き卵とあって、シンプルながらとても食の進む料理です。今回はバジルも入れてもらってより風味がアップしています。
注1 吉田 元「台湾の米酒, 紹興酒, 紅露酒」『日本醸造協会誌』1997年92巻8号p. 579-587 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jbrewsocjapan1988/92/8/92_8_579/_pdf/-char/ja
※後編に続く
(吉村風)
店舗情報
茶屋
新宿区中落合1-20-16
03-3361-5830
月火休み