近頃都内に目につくディープチャイナの一ジャンル「ギラギラ系」。なかでも新種の異色バージョンともいえるのが「レトロチャイナ」です。先日Amy松田さんが池袋のニューオープン店を紹介してくれましたが、今回は上野にあるさらなるディープな店をレポートします。
その店は「九年食班(ジゥニェンシーバン)」(東京都台東区上野)。
今年1月1日にオープンしたそうで、最大の特徴は1990年代という、まだ中国がそれほど豊かではなかった時代の諸相を、当時子供や若者だった世代の目線で捉えたさまざまな意匠、たとえばその頃愛好された商品群や標語(パロディー化の傾向強し)、音楽カセット、映画のポスターなどのサブカルアイテムで店内が埋め尽くされていることです。
そもそも店内自体が、当時の街場の食堂を再現したようなレトロ感にあふれています。
ドリンクを入れるのもレトロなホーローカップ。
面白いのは、店で働くスタッフたちが、冬は中国の中高生が制服代わりに着ているジャージ姿、夏はTシャツ姿で接客していることですが、そのユニフォームの背中のプリント文字の内容が、当時の中国の学校でよくある標語風で(つまり、教育的な指導を含んだ文言が軽く茶化されていて)笑えることです(詳しくはのちほど)。
つまり、現在の30代から40代くらいの中国出身の人たちにとって懐かしさを感じさせるアイテムをあれもこれも詰め込んだような店なのです。昭和30年代を意識したラーメン博物館の中国版といってもいいかもしれません。
個別の詳しい解説はあとでするとして、この店の看板メニューは、中華風鉄板焼の「戳子肉(チュオズロウ)」といいます。
この料理は、肉や海鮮素材をタマネギやセロリなどの野菜とちょい辛の香辛料入りスープと一緒に四角いタマゴ焼き器のような鉄板で炒めたもの。
夏は海水浴客であふれる山東省青島の名物で、地元青島ビールと一緒に若者たちがビーチ沿いの屋台でよく食べています。あとは、羊肉や牛肉、鶏肉、エビやイカなどの海鮮、野菜類まである「焼烤(シャオカオ)」、つまり炭焼き中華風バーベキューです。これはいまの東京のギラギラ系中華の定番メニューといっていいでしょう。
では、これから店内のさまざまなレトロアイテムについて解説していきましょう。ナビゲーターを務めてくれるのは、北京生まれ北京育ちの北京っ子の松永悠さんです。
店に入って最初に感じたのは、低めのテーブル、簡素なスチール椅子、ホーロー食器などのレトロな雰囲気で、一気に「あの頃」の記憶に戻ったこと。写真を中国の友人に送って見せましたが、彼らも同感でした。
この店の内装は「街角」をベースに、1990年代当時若者の娯楽の場のひとつだった「录像廰(ビデオルーム)」「映画館」、そして「学校(教室)」などのエリアに分かれています。
店で目立つのはたくさんの街角に貼られたポスターです。
1980年代や90年代のものも多いですが、実をいえば、けっこうな数の1930年代や50年代の上海を彷彿させるポスターや商品広告などが混じっていて、まあレトロ感を出したいと言う気持ちなのでしょうが、たぶんこれを作った人は、そういう時代考証的なことは気にしてないと思います。
古い中国アニメの本の表紙もあります。これらの作品は夏休みや冬休みになると、必ず再放送されます。
1950年代や60年代に製作されたものが多く、実はこの時代の中国アニメは名作揃いです。海外で優秀賞を獲得した作品もいくつかあって上質なものでした。何度観ても私は好きですね。1970~90年代生まれの世代に共通する懐かしさがあると思います。
しかし、1980年代以降はほとんど良い作品がなく、また日本のアニメがいっぱい入ってきて、あっという間にみんな日本のアニメを見るようになりました。
中国のこの世代の人たちに強い影響を与えたのは、やはり「スラムダンク」でしょう。
私はそれほど詳しくありませんが、男子にすごく人気があることは知ってました。中国でバスケが人気で、NBAも昔からテレビで放送してました。私の大学時代の彼氏もそうで、無理やり観るのを付き合わせられた思い出があります。
友人によると、当時の運動好きな男子はみんなサッカーやバスケが好きでしたが、広い場所が必要なサッカー場が少ないので、バスケのほうに集中するようになったとか。
彼らの中では「スラムダンク」は神的な存在で、思い出が詰まっているそうです。今年の冬、実写版が出るそうですが、「子供は連れて行かない」のだとか。なぜなら「自分は映画を観たら、絶対泣くから子供に見られたくない」のだそうです。
これは壁に描かれた「录像廰(ビデオルーム)」の絵です。
当時はまだネットはもちろん、DVDもなく、香港や日本から届いたビデオを上映していました。また音楽もCDではなく、カセットテープが主流でした。古いラジカセが骨董品のように展示されていて、懐かしいです。
さらにいうと、当時携帯はなく、このような公衆電話を使っていました。その後、中国では自宅の電話が普及するより先に誰もが携帯を手にするようになります。
「映画館」のコーナーのポスターのほとんどは、香港生まれの俳優の周星馳(チャウ・シンチー)さんのものです。
彼は中国で絶大な人気があり、私のような1970年生まれの世代から90年代生まれまでみんな大好きです(さすがにそのあと生まれた00后や10后のことはわかりません)。
なぜ彼が好きかというと、いくつか理由があります。
まず、1990年代までの中国ではコメディと呼べるものが極めて少なかったです。漫才やコントが多少あるくらいで、コメディ映画となると、指折って数える程度しかありませんでした
しかし、彼の映画はまさに「晴天の霹靂」でした。
1990年代の香港の大衆文化にあるドタバタナンセンスを意味する「无厘头(ウーリートウ)」があっという間にみんなを虜にしました。何も考えずに、ただただ爆笑するだけ。でもこれは、それまで中国人が体験してこなかった贅沢なことだったのです。
楽しいから何度も観る。そのうちいろんなことに気づきます。そうすると、一見バカバカしいセリフでも、隠されている真意が見えて来るので、彼のことを尊敬してしまうのです。
私は1992~96年まで大学生でしたので、リアルタイムでこれを経験してます。当時付き合っていた彼氏、彼氏の友人カップルなど、集まっては彼の映画を観ていました。セリフや名場面、みんな暗記できるまで観ましたね。
店内には大きなMTVを映すスクリーンがあり、そこでも90年代から2000年代前半の周星馳さんをはじめとした香港人アーティストの曲が流れていました。
映画もそうですが、当時の私たちにとって香港人のつくる曲は斬新で、これまで聴いたことのなかった世界だったのです。
※都内の「ギラギラ系」中華の店で、同じ時期の香港人歌手のMTVが流されることが多いのは、オーナーの世代がいまの30~40代だからかもしれません。
最後に「学校(教室)」の話をします。
私にとって懐かしかったのは、トイレの近くに貼られた「眼保健操」と呼ばれる解説図でした。
調べたら、中国の学校では1960年代から始まったようです。目の周りや顔、首のツボを押すことで、目の疲労を取って、近視防止を図ります。小学校では、授業の合間に午前と午後一回ずつやります。
確かに気持ち良いですが、最近の研究ではあまり効果がないようです(笑)。飽きてくるので、中学生になると、みんな適当にやってましたね。
時代によってやり方が微妙に違うんですよ。70年代に小学生だった私は、両手を使って顔全体を洗うようにするものでした。でも、この店の解説は当時と違うようです。
この店には、学校の教室によく貼られていた標語のパロディーがたくさん見られます。
なかでも有名なのは、毛沢東が言った「好好学习天天向上(よく学び、日々向上)」で、中国人であれば知らない人がいないというくらいです。ただここでは「好好学习(よく学び)」のあとに来るのは「天天撸串(日々串を食べる)」になっています。
これは中国の家の正門の両脇に貼られることが多い「対聯」を真似して作ったものです。
基本的にはめでたいことを書くのが一般的ですが、ここでは「吃好喝好(よく食べよく飲む)」と「没有烦恼(煩悩はない)」とあります。本来ならば韻を踏むとか、言葉も対称的に作る (左が動詞なら右も必ず動詞)などルールがありますが、いまの人たちは自由にアレンジしています。
これは漢詩の一部を引用するバージョンで、少し難易度が高いですが、最近よく見かけます。
後ろの方からいくと、原文はこうです。
「在天愿作比翼鸟
在地愿为连理枝」
これは恋に落ちたカップルが、空にいるものなら共に翼を広げて飛ぶ鳥に、地上にいるものなら地上でしっかり繋がっている木になりたい、という意味です。
ここでは、前半(在天愿作比翼鸟)を引用しながら、後半は「不如在比吃烧烤(共に翼を広げて飛ぶ鳥になるより、ここで一緒に串焼きを食べるのがいい)」という文章に変換しています。
手前の文章は、
「我愿三江化做酒
浪来一口喝一口」
ここでいう「三江」とは川を意味する総称です。川の水がお酒になり、波が来るごとに川の水(酒)を飲むという意味です。豪快で楽しそうな雰囲気があるので、中国人にはウケると思います。
このレストランのことを友人に伝えたら、いま北京にも似たような店が多く、当時のジャージ(中国の学校では日本のような制服がないので、多くの学校の制服になっています)まで用意して、入店して着替えることもできる店もあるそうです。
こういうコンセプトの店ですから、客層は30代から40代の中国出身の人たちが多いと思ったのですが、もっと若い世代も多そうでした。
みなさん小さなテーブルを囲み、和やかに談笑しながら、炭焼きの串焼きを食べていました。このようなスポットは世代を超えて楽しめるのでしょう。
それにしても、このような店をやろうと誰が考えたのでしょうか。
彼がオーナーの紀さんで、1991年遼寧省遼陽生まれです。遼陽というのは、省都の瀋陽の少し南にある白塔という遼の時代の古塔があることで有名な町です。
ちなみに彼の奥さんは1994年生まれで、おふたりは90后の中国人カップルです。
紀さんの来日からこの店をオープンするまでのいきさつについては、すでに阿生さんが書いているので、こちらを参照してください。
おふたりに話を聞いたところ、この店の内装として使われているたくさんのレトロアイテムは、中国からすべて取り寄せたそうです。
なぜこのような店を始めたのかについて、ふたりはこのように話してくれました。
「コロナ禍でこの数年、帰国できない同年代の中国人が多くいます。誰もがここまで長引くとは思っていなかった。だから、帰国できなくても、彼らを癒せる場所をつくれないかと思いました。そこで考えたのが、90年代レトロ食堂(欢饮来到90年代)というコンセプトでした」
奥さんの話す次のような言葉が印象に残りました。
「いまの時代、SNSで中国の家族や友人と簡単に連絡取り合えますが、終わりの見えないコロナ禍に誰もが漠然とした不安を感じています。そんなとき、この店に来て、懐かしいポスターやパロディー標語に苦笑し、当時流行った香港人歌手の曲を聴きながら自分も口すさんでいるうちに、ため息とともに、ふと涙がこぼれてきたと話す若い女性がいました。この店をやってよかったと思いました」
先ほど松永さんも話していたように、この種のレトロ食堂はすでに中国にはたくさんあり、まさに中国の食のシーンをそのまま日本に持ち込んだという意味で、東京ディープチャイナの最前線といえるでしょう。
紀さんはこの店の2号店を計画中だそうです。多くの日本人にとって、彼らエミグラントの心をつかんだこの店のレトロ感を共有することはできないかもしれませんが、ぜひ一度訪ねてみてはどうでしょう。
撮影/佐々木遼、松永悠
(東京ディープチャイナ研究会)
店舗情報
九年食班
台東区上野4-4-5
Dreamersミトビル6F
03-6806-0908