2016年10月から2018年2月まで、私はロシア極東のウラジオストクに語学留学をしていた。
市内の中心街から黄金橋を渡った先にある、ルースキー島の大学で授業を受け、島にある学生寮に住んでいた。
15人ほどのクラスに振り分けられ、そのうち中国人は10人ほどで、残りは日本人や韓国人。ウラジオストクに留学している中国人の学生の多くは、黒龍江省の出身者が多い。省都のハルビン出身がほとんどだった。黒龍江=アムール川なので、両国の貿易は昔からさかんで、ロシア語を勉強する中国人は多い。
留学してすぐに、簡単な電化製品や衣類を買おうかと思い、友達になったばかりのロシア人にどこが安いかを聞くと、「キタイスキーリーナク」、つまり「中華市場(キタイスキー市場)」だと教えてくれた。ウラジオストクに中華市場があるなんて、その時の私には意外で、バスを乗り継いで、島から市場まで移動した。
市場といっても、ウラジオストクは寒いので、屋外市場はほどほどの敷地面積。暖房のきいた大きな建物の中に、すっぽり市場が収まっている。食品はもちろんのこと、たくさんの衣料品店や電化製品店が並んでいた。
確かに街中のスーパーや衣料品店より、かなり安い。なるほど中国から運んできたものを、そのまま売っているのか。店員の多くも中国人で、ウラジオストク在中の中国人が中国語で買い物していた。ロシア人も多く買い物に訪れるので、ロシア語も飛び交っていて、市場に身を置いた私は、大陸での生活が始まったんだな!とうれしくなった。
日本の大都市で、日本人の口に合わせてない本格的な中華料理が食べることができる、《ガチ中華》《ディープチャイナ》と呼ばれる飲食店が流行している。
思いおこせば、私の《ディープチャイナ》体験は、ウラジオストクあった。先にあげた通り、ウラジオストクには中国人もたくさん住んでおり、中国人のお客さんだけで経営が成り立つ飲食店があった。
※ウラジオストク生まれのアレックスさんも同じことを報告しています。
クラスメイトの中国人に「ウラジオストクで本格的な中華料理を食べるには?」と尋ねると、先にあげた市場にあるレストランを紹介してくれた。そこでの食事は日本では食べたことがない、刺激の強い中華料理で、私は新鮮な美味しさに驚いた。特に花椒の利いた麻辣の味わいに頭のてっぺんまで、ビリビリ痺れる感覚にはまってしまった。
学生生活の食事は自炊が中心だったが、週に何回かは「スタローバヤ」と呼ばれる食堂で、友人とともに雑談しながら食事を楽しんだ。スタローバヤは学内にもいくつかあり、そのうちの一つに中華スタローバヤ《パンダカフェ》があった。
パンダカフェは、ロシア人の味覚に寄せない本格中華を提供していたが、中国人だけでなくロシア人にも人気があった。寮の部屋から最も近いスタローバヤということもあり、私はいつしか週に何度も通うようになった。注文するのは決まって、麻辣麺。これがビリビリで最高にうまい。ロシアの寒さを吹き飛ばすようだった。
2017年の春節。クラスメイトの中国人に、寮での新年パーティーのお誘いをうけた。
見事に並んだテーブルの上の食事は、学生達の手作りだった。ハルビン式の中華おせち料理は、目にも舌にも真新しかった。現在私は東京で《ディープチャイナ》を楽しんでいるが、この頃は料理名などまったくわからず。「なんだか華やか美味しい料理」とだけの認識だったことを思い出すと、なんだかもったいない。
もう一度食べたいな。ハルビンから遠く離れた、ウラジオストクの地で、本場の味を再現できるのは、先にあげた市場があってこそ。舌と胃袋に国境はない。
そして中華の正月といえば、白酒。小さいカップに注ぎ、友人と乾杯。くっと飲み干せば、鼻から抜けるアルコールの香りが気分を爽快にさせ、喉を落ちていく白酒は、中華料理の油をさっと押し流す。こうしていつしかウラジオストクの夜は、クラクラと酩酊していったのだった。
2017年の夏、語学グループでピクニックをしようということになった。集まったのは日本人、ロシア人、中国人、台湾人、韓国人、インドネシア人。
ロシアのピクニックといえば、シャシュリクだ。カフカス地方起源の串焼きバーベキュー。これがソ連時代にロシア全土に広がり、定番のピクニックメニューとなった。
この日もロシア人の友人が張り切って、シャシュリクの準備をしてくれた。大学のあるルースキー島は自然が豊かで、大学の敷地内の森を抜けていくと、定番のピクニックスポットがある。森の木かげで、ビーチも目の前だ。
そこでみんなでピクニック。アジア各国の留学生が集まり、共通言語はロシア語。ロシア人以外はみな、母国語ではないから、言葉でのコミュニケーションには苦労したけど、すごく楽しかった。共通の料理を食べて、顔を見合わせ笑い合うだけでいいのだ。心は舌と胃袋でつながっている。
いま国の境で争いがあって、それを思うと私は、どうしよもなく落ち込んでしまう。そんな時は目をつぶり、この日の木漏れ陽を思い出す。