これはあまり知られていないことかもしれませんが、都内のディープ中華の店舗数で最多といわれるのが東北料理店です。
東北料理は厳寒な気候から、概して鉄鍋や煮込み系のような身体を温める料理が多いのですが、ちょっぴり変わりダネもあります。
鍋包肉(ゴウバオロウ)という豚肉甘酢あんかけです。
都内の東北料理店では必ずメニューに入っている一品で、この写真は錦糸町にある谷記(墨田区太平3-9-4)という店の窓におすすめ料理として貼られていたものです。オーナーが東北出身者の店なら、たいてい食べられます。
豚ひれ肉をスライスし、衣をつけてさっと揚げ、甘酢をかけたもので、やわらかい肉の食感とほどよい酸味がビールやご飯に合います。もっとも、日本でいえば豚肉の天ぷらに近く、どこが変わりダネなのかと思われるかもしれません。
理由はこの料理の出自にあります。鍋包肉は黒龍江省ハルビン生まれの料理で、1907年創業で今日も営業している老舗レストラン「老厨家」の初代調理人の鄭興文が、当時この地にいたロシア人向けに創案した一品です。
ハルビンは20世紀初頭、シベリア横断鉄道の建設のためにロシア人がつくった町です。松花江沿いの小さな漁村にすぎなかった場所が見る見るうちに近代都市に生まれ変わっていきました。
この写真は1930年代のハルビン駅です。アールヌーヴォー様式の優美な曲線が美しい駅舎で、西洋人と思われる女性ふたりが入口に向かって歩いています。
当時、ハルビンは音楽の町でもありました。ロシア革命を逃れてきたユダヤ人音楽家が留まっており、ロシア人や日本人も暮らしていたことから、多くの観客を収容できる劇場や音楽ホール、映画館などの文化施設が建てられ、室内楽や交響楽、オペラが盛んに上演されていたのです。写真はハルビン市内にある博物館の展示で、当時活躍した音楽家やダンサーの姿が見られます。
こうしたことから、ハルビンのレストランの調理人たちは、西洋人の口に合う料理を提供する必要がありました。今日ほど日本料理や中華料理が世界に広まる以前の時代でしたから、彼らが箸を使わず、ナイフとフォークで食べられるようにと生み出されたのが鍋包肉だったのです。
老厨家を訪ね、メニューを見ると、鍋包肉の写真の隣に、この店の主人が西洋人に料理をふるまうイラストが描かれています。
店内には、弁髪姿の清国人と西洋人が戸外で宴会をしている絵が飾られていました。これが当時のハルビンで普通に見られる光景でした。
ハルビン市内中心部の松花江近くにある現在の老厨家のオーナーは4代目だそうです。この店の特徴は、東北料理を中心にしながらも、当時から続くロシア料理を提供しているところです。
さらにメニューをめくると、ロシア料理の定番であるカツレツならぬトンカツ(炸猪排)や肉と角切りの野菜、ジャガイモ、香草などをマヨネーズで和えたオリヴィエサラダ、ボルシチ(紅菜湯)があります。かなり中華風にローカライズされていますけれど……。
また店内には、ロシアの炭酸飲料クワスの自家製醸造機があり、できたてを飲むことができます。まさにハルビンの歴史と食文化を凝縮したようなレストランなのです。
この店の面白いところはそれだけではありません。創業100年を超える老舗らしく、店内の至る場所に当時の店の写真や昔使った食器、メニュー、料理レシピを講ずる古書などが展示されています。まるで博物館のようなレストランなのです。これらの展示を見ていると、当時のハルビンの調理人たちが西洋料理を学ぶためにいかに努力していたかがわかります。
事前に予約を入れておかないとすぐには席につけない人気店ですが、席が空くまで展示を眺めていると十分時間がつぶせると思います。
それに、同じ店内で厨房から出てきたおばさんたちが客の前でテーブルを広げて、餃子を手づくりしていたりと、気取ったところのない店なので、その様子を眺めているだけでも楽しくなります。
右下が鍋包肉。左の皿は平たい中華風春雨(拉皮 ラーピー)と野菜の和え物で、東北大拉皮と呼ばれる中華風サラダです。こちらも都内の東北料理店に行けば、たいていメニューに入っています。
このように、ディープ中華の店で供される料理には、それぞれ物語があります。ぜひ鍋包肉を試してみてください。
(東京ディープチャイナ研究会)
店舗情報
老厨家
中国黒龍江省ハルビン市道里区友誼路318号