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横浜中華街を歩いて知った170年の歴史と日々更新される新しい顔

横浜中華街を歩いて知った170年の歴史と日々更新される新しい顔

こんにちは、TDCライターの文香です。

今回のテーマは横浜中華街。私が最後に横浜中華街を訪れたのは、中学校の修学旅行でした。当時の私にとって横浜中華街は、パンダグッズが並び、食べ歩き、食べ放題や占いを楽しむ「観光地」。どこかテーマパークのような、非日常を味わう場所という印象が強く残っています。

その後、関東へ出てきて10年以上経ちましたが、そのイメージはほとんど変わりませんでした。ガチ中華を食べるなら上野や池袋、新大久保へ向かい、横浜中華街は「観光地だから」という理由で選択肢から外れていました。

そんな私の印象が少し変わるきっかけになったのが、昨年開催された月餅グランプリでした。

※月餅グランプリの概要はこちら:

参加者がそれぞれ月餅を持ち寄って食べ比べるイベントに、中村代表が横浜中華街の老舗を中心に、さまざまな月餅を集めてきてくださいました。

その月餅を見て「横浜中華街にはこんなに老舗店があるのか」と驚き、私が抱いていた「テーマパークのような街」という印象は、この街のほんの一面でしかなかったのだと気づきました。

さらに今春発売された中村代表の著書『ガチ中華移民』を読むと、横浜中華街が約170年の歴史の中で、時代ごとに姿を変えながら発展してきたこと、そして近年はガチ中華をはじめとする新しい中国文化も入り始めていることが紹介されていました。

観光地だと思っていた横浜中華街は、実際にはどのような街なのだろうか・・

そう思い、今回は中村代表に解説していただきながら、ふ味縁のメンバーと一緒に横浜中華街を歩いてきました。歴史ある老舗から、新しく広がるガチ中華、中国文化まで・・現在の横浜中華街の姿を紹介していきます。

広がりつつある「ガチ中華」

横浜中華街といえば、上海・広東料理(中国南方の料理)や台湾料理、そして食べ放題の店が立ち並ぶ街という印象を持つ人が多いのではないでしょうか。しかし実際に歩いてみると、湖南料理、東北料理、江西料理、中国本土の軽食やチェーン店など、「ガチ中華」が点在しています。中村代表によると、こうしたガチ中華の進出はここ数年で目立つようになったそうです。

しかし、上野や池袋といった都内のガチ中華エリアと比較すると、少し様子が異なります。

上野や池袋ではガチ中華店が集結していますが、横浜中華街では、老舗中華店、食べ放題店、ガチ中華店が混在しています。

さらには、台湾の青天白日満地紅旗が並ぶ台南小路で刀削麺が提供されていたり、以前は点心店だったと思われる店が湖南料理店へと変わっていたりと、「新しい街ができた」というより、「長い歴史を持つ横浜中華街そのものが少しずつ更新されている」ように映ります。

台南小路

この違いは、それぞれの街が歩んできた歴史とも関係しています。

上野や池袋は、1990年代以降の在留中国人の増加とともに中国人コミュニティが形成され、飲食店が増えたことで「ガチ中華の街」になりました。

他方、横浜中華街は、開港以来約170年にわたり、その時代ごとの日中関係や社会状況、食文化の変化を受けて姿を変えてきました。中国南方や台湾出身者を中心とした老華僑によって築かれた街は、1980年代以降には観光地化が進み、2000年代には新華僑による食べ放題店が増え、そして現在「ガチ中華」が加わっています。

一枚の写真を見ても、串焼きや刀削麺といったガチ中華、老舗中華、食べ放題、占い店の看板など、異なる時代のトレンドが同じ風景の中に映り込みます。その変化の過程を一つの街で見ることができることも、横浜中華街ならではの魅力なのだと思います。

私たちもこの時代の変化を味わおうと、1945年創業の老舗広東料理店「順海閣」で夕食をいただきました。こちらでは広東料理、オーダー式食べ放題などの主力メニューに加えて、季節限定メニューとして江西料理が提供されていました。

周囲の多くのお客さんがオーダー式食べ放題を楽しむ中、私たちは江西料理の「鶏のビール煮込み」と「炒めビーフン」を注文しました。

一口食べると、町中華や広東料理にはない唐辛子のしっかりした辛みが広がり、その奥には素材の旨味や香辛料の奥深い香りが感じられます。

「広東料理の老舗店」×「江西料理」の組み合わせは、今の横浜中華街を象徴するような光景でした。ガチ中華専門店が増えるだけではなく、老舗が新たにガチ中華を取り入れていることもまた、現在の横浜中華街の変化とも言えるのではないでしょうか。

横浜中華街に集まる新しい中国文化

横浜中華街では、ガチ中華の進出に加え、日本で起きた中華グルメブームや、中国の新しい文化・ビジネスも取り込まれています。

その代表例が「マーラータン」です。2020年代以降、日本ではマーラータン専門店が急速に増え、一大ブームとなっています。その流れは横浜中華街にも及んでおり、中村代表によると、中華街だけでもマーラータン専門店を5店舗は確認できたそうです。

都内でも多数の店舗がある「楊國福麻辣湯」は15時過ぎでも行列ができており、その人気ぶりがうかがえました。横浜中華街もまた、日本の食トレンドと無縁ではないことがうかがえます。

また、中国関連の新しいビジネスも見られました。

その1つが、日本初の紹興酒専門店「夏酒屋」です。店内はバーのようなシックな作りで、紹興酒がずらりと並び、飲み比べやカクテルなど、従来の「中華料理と一緒に飲む酒」という枠を超えた楽しみ方が提案されていました。

夏酒屋ではバーカウンターに座りながら様々な紹興酒が楽しめます

私はコーヒー紹興酒をオレンジジュースで割ったカクテルをいただきましたが、想像以上にコーヒーの香りが際立ち、紹興酒の甘みともよく調和していました。アイスクリームやヨーグルトにかけて楽しむのもおすすめだそうで、「紹興酒=食中酒」という固定観念が大きく覆されました。

そのほかにも、上海スタイルのホテルや、新大久保などに出店している中国本土のドリンクチェーン店も進出しています。

横浜中華街は、ガチ中華にとどまらず、日本で広がる食の流行と、中国に関連する新しい文化やビジネスも取り込みながら変化を続けているように感じました。

約170年の歴史を持つ横浜中華街

ここまで、現在の横浜中華街に入り込む新しい中国文化について紹介してきました。しかし、この街を歩いていて印象的だったのは、新しいものが入ってきても、その土台には長い年月をかけて築かれてきた街の歴史がしっかりと残っていることでした。

表通りには様々な飲食店やガチ中華が並ぶ一方で、路地へ入ると、観光客で賑わう大通りとは異なる、落ち着いた空気が流れています。

また、華僑の婦人会など、華僑の人々のコミュニティも確認でき、横浜中華街が単なる観光地ではなく、華僑の人々が暮らし、支え合いながらコミュニティを築いてきた生活の場でもあったことが伝わってきました。

その歴史は、今も営業を続ける老舗からも感じ取ることができます。

今回立ち寄ったのは、TDCの「月餅グランプリ」でも紹介した、1960年創業の中華菓子店「聚楽」です。

店内には中華菓子がずらりと並んでいました。購入した中華菓子は、水分を控えめにした生地に程よい甘さの白こし餡がよく合い、素朴ながらも飽きのこない味わいでした。長年変わらず作り続けられてきた味で、多くの人に親しまれているのだと感じます。

こうした老舗は中華菓子店だけではありません。老舗の中国茶・茶器専門店や中国食材店も残っています。

店内には日本の一般的なスーパーでは見かけない、池袋などの中華物産にある本格的な中国茶や食材が並び、横浜中華街が単なる飲食店街ではなく、文化交流の場であり、生活を支える場でもあったことを感じられます。

そうした街の歴史を象徴する場所の一つが、横浜中華街のシンボルでもある横浜関帝廟です。

19世紀後半、横浜に住み始めた華僑たちによって建てられた廟で、三国志で有名な武将・関羽が祀られています。現在では横浜中華街を代表する観光スポットとして多くの人が訪れますが、その背景には、異国の地で暮らす華僑たちが信仰の場として、そして互いを支え合う精神的な拠り所として守り続けてきた歴史があります。

街歩きの途中で立ち寄ると、華やかな観光地としての横浜中華街とはまた違った表情を見ることができました。

横浜中華街の歴史をさらに知りたい方には、ローズホテル横浜2階にある「横浜中華街 歴史回廊」もおすすめです。

横浜港開港から華僑コミュニティの形成、関東大震災や戦争、戦後復興、そして現在に至るまで、街がどのように変化してきたのかを写真や資料とともにたどることができます。実際に街を歩いたあとに展示を見ると、横浜中華街の辿ってきた歴史をよりリアルに感じられると思います。

ローズホテル横浜2階 横浜中華街 歴史回廊

街歩きを終えて

私にとって横浜中華街は、長い間「観光地」でした。しかし実際に歩いてみると、そのイメージは大きく変わりました。そこには約170年積み重ねられてきた歴史があり、現在も変化を続けていることに気づきました。横浜中華街は「昔の街」でも「新しい街」でもなく、時代ごとの変化を積み重ねながら、今も姿を変え続けている街でした。

また、今回の街歩きでは、横浜中華街そのものの変化だけでなく、「同じ街でも、歩く人によって見える景色が違う」という面白さも感じました。

一緒に歩いたふ味縁のメンバーには、横浜育ちのこむじゃさんと、学生時代を横浜で過ごした夏木さんがおり、横浜中華街にそれぞれの思い出や記憶を持っていました。

例えば、こむじゃさんが「占い店は昔からあったけれど、大通りにはなかった」と話していたことが印象に残っています。私にとって占い店は「現在の横浜中華街にある風景」の一つでしかありません。しかし、幼少期からよく横浜中華街を訪れていたこむじゃさんにとっては、「昔からあったものが、時代とともに街の中で存在感を変えていったもの」として見えていました。

同じ場所を歩いていても、そこで過ごした時間や世代によって見えている景色は異なるのだなと感じました。今回の街歩きでは、料理や店だけではなく、そうした人の記憶を重ねながら街を見ることができたことも、大きな発見でした。

私がTDCに参加した当初は、純粋に食文化への興味、中国出身の親友のことをもっと知りたいという気持ちが大きかったように思います。しかし、中村代表と活動を続ける中で、食の先には必ず人がいて、その背景には暮らしや歴史、文化が広がっていることを知りました。今回の横浜中華街の街歩きは、まさにそのことを実感する時間でした。

料理を味わうだけではなく、時代の流れや、支えてきた人々の歴史を知ることで、街の見え方は大きく変わるなと感じました。

横浜中華街は、これからも時代とともに変化を続けていくでしょう。そして上野や池袋、新大久保といった現在の「ガチ中華の街」も、同じように新たな歴史を積み重ねていくはずです。ガチ中華に関わる人を知りながら、その変化を追いながら街を眺め、そこに関わる人々や歴史を知っていくことも、TDCで活動する楽しさの一つなのだと改めて感じました。

(文:文香 写真:夏木)

店舗情報

順海閣

横浜市中区山下町147

Writer
記事を書いてくれた人

代表からのひとこと

ふ味縁のみなさんと横浜中華街を訪ねたのは、横浜市三ツ境にあるオイラト系モンゴル人の店「ブドウエン」を訪ねたのと同じ日でしたね。せっかく横浜に来たのだから、帰りに中華街を歩こうという話になったと思います。

ぼくはここ数年、年に何回か横浜中華街を訪ねていますが、毎回行くたびに新しいお店ができ、常に変化が見られます。その背景にはいくつかの理由があると思いますが、新華僑の人たちが最初に中華街に出店するようになった1990年代後半から2000年代にかけて起きたこととは質的な違いのある現象、すなわち今回文香さんが紹介してくれたように、進取の気性に富んだガチ中華オーナーたちが、これまでの中華街にはなかった中国各地の地方料理の店や飲食チェーンのフランチャイズ店を出店するようになったことが挙げられます。

さらにいうと、ぼくらが食事をした香港路にある「順海閣」(ここは1945年創業。創業者呉笑安さんの父親の点心師が崎陽軒の要望に応えて完成させた「元祖シウマイ」の店)のように、もともと老舗だった店が、コロナ禍を機に、かつての老華僑から新華僑のオーナーへと代替わりしているケースもあります。

現在の「順海閣」のオーナーと一度お話をしたことがありますが、彼は2007年に来日した福建人です。老華僑から店を引き継いだのは2021年のことでした。横浜中華街の老華僑には福建出身の人も多く、伝統ある店を廃業、または建て替えることなく、新華僑に橋渡していくようなことも起きているのです。

順海閣内装

順海閣の2階には、創業当時のチャイナ風情を残す昭和レトロな個室や宴会場があります。こちらは一般客には公開していないようですが、そこそこの人数を集めた宴会であれば、利用することができるそうです。ぜひそんなレトロな宴会を横浜中華街で体験してみたいものです。

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